2月 3rd, 2020

北海道の稚内に夜行列車(今は廃止)と普通列車を乗り継いでいきました。目的は日本本土最北端の宗谷岬に行くことで、その他北海道の食を堪能するために行きたいと決意しました。先月エントランスの日帰り旅行に母に誘われていきましたが、招待旅行なのにバスで色々連れて行ってくれてとても楽ちんで楽しかったのですが、すべてのスケジュールがきっちり組まれていて好きに動けなかったので今回は久しぶりに一人旅で計画を立てました。

7月といっても稚内の夏は寒く、羽織るものは絶対に必要でした。北海道は梅雨がないイメージですが、一日中どんよりとした天気でした。道北なので初雪が降るのは特に早いのでベストシーズンは5月から10月かと思います。陽が出ていないと急にひんやりするので薄くてもいいので上着は必須です。

稚内に行く途中には音威子府駅(おといねっぷ、と読みます)で途中20分間停車する列車が当時はありました。その20分間を使って、そこの名物麺が真っ黒な駅そばを食しました。そばの殻も使うからとても黒くなるんだそうです。稚内に宿泊した日はいよいよ宗谷岬に行きました。あいにく天気は良くはありませんでしたが、雨に降られることはありませんでした。宗谷岬は岬という断崖絶壁な感じではなく、平坦な海岸にいきなり現れる感じです。

朝一番の浜頓別行きのバスに乗ったので、最北端到達証明書はもらえなかったのが残念でした。(9時くらいからで、かつ冬季を除くともらえます)宗谷岬は幸福の鐘みたいなのがあって、大韓航空機撃墜事故(1983年)の慰霊碑もあります。食事は前日にロシア料理をいただきました。稚内は樺太やウラジオストクなどとかなり近く、ロシア人が普通に歩いています。ピロシキ、大変おいしかったです。

街を歩くと異国情緒がたくさん感じられる雰囲気を感じました。ロシア人がたくさんいるのです。宿泊する宿は浴槽が小さいことから近くの公衆浴場にいったところ、半数がロシア人でした。自分は日本にいることを忘れそうでした。次に書くのは稚内駅が写真と違うということです。稚内駅はやや古く、いかにも終着駅という感じがしましたが、新しい稚内駅はとてもきれいでいかにも交通の要衝といった感じがしました。

人口は3万人くらいにも関わらず6時半から21時まで約12分から30分おきにひっきりなしにバスが走り、市内観光はとても便利でした。稚内にきてとても面白く感じたのはやはり、何から何まで「最北端の~」といったフレーズをつけてモノを販売することです。例えば最北端の牛乳だとか、最北端の宿などがあげられます。こういうものを見ると最果ての地に来たんだなあとふと思いました。まだインバウンドという言葉が浸透していない時代、外国の方がの姿はほとんどなくもう一度行ったら、どのような街中の様子になっているか心配なところではあります。しかしながら、町の人々は暖かく、もう一度訪ねてみたい北海道の町も五つの指に入るかと思います。

旅行中、困ったことといいますか、ここで電車が動かなくなったらどうしようといった場所は何か所かありました。そこは、宗谷本線名寄から豊富の間です。何故かといいますと、ほとんどが手つかずの原野なのです。電車から見える車窓も言い方を悪くすると単一で、冬季にこんなところで立ち往生したら誰が助けに来てくれるのか心配になりました。(ただし、ここの路線は軽油で走る車両なので凍える心配はないです)

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失敗談は北海道の夏をなめていたことです。私の住んでいるところは7月だと真夏日になる日が多いです。しかしながら初夏の稚内は最低温度が一桁だったんです。みなさま、パーカーとかウインドブレーカーは必須です。夏の北海道は。朝夕が特に寒いので注意してください。感動したことといえば、宿の方の細かい気配りです。いわゆる安宿に泊まったわけですが、とても支配人の人柄がよく、安心して宿泊することができました。あとチェックアウトも合理的といいますか、お客様を信用していて、「ここに鍵をいれてください」というスタイルでした。稚内には航空系ホテルもありますが、地元の方がひっそりと経営している宿こそ、北海道の醍醐味だと思いました。


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